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トルベジュ川の戦い (1096年) : ウィキペディア日本語版 | トルベジュ川の戦い (1096年)
トルベジュ川の戦い()は、1096年にトルベジュ川河畔において、キエフ・ルーシの諸公とポロヴェツ族との間で行われた戦闘である。この戦いは1068年にルーシ諸公が敗れたアリタ川の戦いから数えて28年目の出来事であり、ルーシ諸公がポロヴェツ族との戦争(ru)において勝利した最初の戦闘である。このときのキエフ大公はスヴャトポルクであった。 ==歴史==
===前史=== トルベジュ川の戦いでルーシ諸公軍を率いるキエフ大公スヴャトポルクとペレヤスラヴリ公(当時チェルニゴフ公)ウラジーミルは、1093年のストゥグナ川の戦い(ru)、またジェラニ川の戦いにおいて、共にポロヴェツ族に敗北していた。1094年、スヴャトポルクはポロヴェツ族のトゥゴルカンの娘を妻に迎え、和平条約を結んだ。さらに1094年には、ウラジーミルはチェルニゴフにおいて、トムタラカニ公オレグ(ru)と、それに援軍として参戦したポロヴェツ族との軍勢に包囲され、チェルニゴフの譲渡とペレヤスラヴリへの撤退を余儀なくされていた。1095年、ウラジーミルはペレヤスラヴリにおいて、イトラリとキタンの2人のポロヴェツ族の長を殺害したが、1096年にはポロヴェツ族のボニャークが、キエフ近郊のベレストヴォにあったキエフ大公の離宮を焼失させた。また、ポロヴェツ族のクリャがペレヤスラヴリ領を襲い、同年5月24日にウスチエを焼き払った。
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